日進月歩:『しなきゃ』はしなきゃ

私がとらわれている「しなきゃ」

 

息子とひさしぶりに某回転寿司店へ。

座席に座るやいなやスマホを取り出し操作しはじめる21歳の息子。自分のスマホから直接注文するらしい。これがデジタルネイティヴか。

私は設置されているタブレットから注文する。なんの不便も感じない。

 

帰りにコンビニによって一緒にお買い物。

レジに並んでスマホを取り出し『ピッ』と精算する息子。キャッシュレス!う~ん。デジタルネイティヴか。

私は財布からお金を取り出しお支払い。うーん不便は感じないなぁ。

 

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英語が好きなのでコロナが流行するまで某通訳・翻訳の英語スクールに通っていた。

わからないことがでてくると、若い人たちはもちろん中高年の方たちも電子辞書で調べものをする。

そんななか、教室で私だけが紙の辞書をつかっていた。

自分ではまったく不便を感じていなかったが、本格的な英語スクールで学ぶには、すこし場違いなのかなという感じがあった。

講師からは電子辞書を勧められたが、購入するまえに退校してしまった。

コロナの流行でオンライン授業になり、対応できる環境が用意できなかったのが理由だ。

 

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この数年はコロナの影響から、世の中は急速にデジタル化した。

ついていけない、ついていこうとしない自分がいる。

けれども、「デジタル化する世の中に適合しなきゃ」と考える自分がいる。

 

知ろうとしないだけで知ることで便利になること、得することってたくさんあるんだろうと思う。きっと楽しいことも。そして、世界がひろがることも。英語がそうだ!

 

だったら「しなきゃ」いけないことは、一歩ずつでも根気よく前に進めようとおもう。

 

 

 

枕もとに織田信長

お題「なんだか眠れない・・・でも寝酒はしたくない。スッと寝付ける方法ないでしょうか?」

 

普段は、2分もあれば寝つけるのだが。

お正月休み、お盆休みがおわりの出勤前夜は、必ず寝つきがわるくなる。

寝なくてはと思えば思うほどあせって寝つけない。そうなると決まって浮かんでくるひとつの逸話がある。

 

戦国時代、織田信長の陣営。

いくさを翌日に控え興奮して寝つけずにいる雑兵たちに、信長が声をかける。

"眠らなくてもよいから横になれ。身体だけでも休ませろ。"

 

眠れないときは決まってこの話を思いうかべる。

身体だけでも休ませる。そう考えるだけで少しは気が楽になる。眠れないときはしょうがない。

それにしても、冷酷非道で恐れられた信長。    弱者にはこころやさしかったと伝えられる逸話もたくさん残っている。

それでも、直属の上司にするのは遠慮したいな。

毎晩眠れなくなりそう。

 

 

 

 

HONG KONG ON MY MIND

今週のお題「行きたい国・行った国」

1989年秋、ジェット機はビル群スレスレを飛行し、香港国際空港に着陸した。

人生初の海外旅行は大学の卒業旅行だった。

当時、映画界には香港ノワールというジャンルが存在していた。香港の裏社会や犯罪を描き、男同士の絆や対決がストーリーの軸になっている。

日本のテレビの深夜枠でよく放送されていて、私はその世界観にすっかり魅力されていた。

もちろん、滞在中に映画でみたような撃ち合いやカーアクションには遭遇しなかった。けれど、画面から感じた日本にはない危なっかしい雰囲気、無国籍な光景を肌でかんじることができた。

宝石店の入口に立つ、ライフルを持ったインド人達。紙幣を蛍光灯にあて、しつこくニセ札でないかを疑うレジ打ち。やたらとぶつかってくるスリ達。

中国に返還される8年前に私は香港にいた。

アジア随一の大都会の喧騒と雑踏の中を歩いていた。

学生生活を終える不安、寂しさを振り払うように。スクリーンに登場する男たちのように。

 

うん?なんで⁇ こんなところに・・・(⁠・⁠o⁠・⁠)

お題「子どもの頃に勘違いしていた、ちょっと恥ずかしいこと」

父親から聞いた私が幼かったころの話です。

その日も、いつものように父に連れられ近所の銭湯へ。

ルーティン通りに、わたしの髪と身体を入念に洗い終わって目を離した数分後…

湯けむりのなか、オジサンの背中をフシギそうに凝視ているわたしを発見。

わたしの目と鼻の先には、桜吹雪が、、、 

あわててわたしの手をひく父。

おじさんの背中に、なぜ絵が描かれているのか不思議だったのでしょうね。

ママのネズミ退治

お題「人生で一番古い記憶」人生で一番古い記憶がよみがえります。  

それは、たぶんあの光景。

まだ若くきれいな母はネズミがおさまった捕獲器を、水が満杯の大きなバケツに、そっと落としました。

慌ただしい、さわやかな朝の光のなかでの出来事でした。 

ロック‼ オレ流の作り方

今週のお題「手づくり」

20代はバンド活動に明け暮れた。

相棒のギタリストが作ったリフに、メロディラインと歌詞をつける。

つまりボーカルパート全般の制作を担当していた。そしてステージで歌うところまで。

譜面を読めないので、カセットテープでリフを流し続ける。

適当に、はなうたを口ずさみ、リフにのせる。 何十回、何百回とくりかえす。ひたすらくりかえす。

そしてその瞬間がやってくる。

はなうたとリフがピタリとかさなり、メロディになるその一瞬が。

メロディラインがきまれば、そのメロディに歌詞をのせる作業だ。

語りたいほどの思いもない。たいした人生経験も恋愛経験もない。凡人にひとの心を震えさせる歌詞は作れない。

ビートルズストーンズ、ボブ·ディラン、ジミ・ヘンドリックス、お気に入りの歌詞を拝借する。

よくいえばオマージュ、悪くいえばコピーだ。

こうして30ものロックを作り、鳴かず飛ばずの5年間の活動の後、バンドは解散した。

当時は、インターネットもない時代。音源を発表する場は限られていた。

手元には、ライブで録音したカセットテープが残ってるだけだ。

30年も前に、この自分が大勢の前でステージに立ち、自作の曲を歌っていたなんて。ほんまか?

いまも音楽でメシを食う相棒に、電話して

確かめてみることにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

ジャパニーズ·ドリーム

お題「自分にとっての「ライナスの毛布」」

それは自己啓発本、とりわけビジネスマンの立身出世物語だ。

本棚には、渋沢栄一安田善次郎松下幸之助小倉昌男孫正義、レイ·クロック、スティーブ·ジョブズ·····成功者の物語が並んでいる。      

29歳でフリーター生活をやめて、正社員で就職した。前向きに選んだ職種ではなかったけれど。

これから、どう生きていけばよいのか。

彼らの生き方にヒントを探していたのだろう。

その人生を知ることで、懸命に働くことに疑いを持たなくなった。     

30代、40代、人並み以上に働きながら、わずかな時間もよみふけった。

そして、小さい会社ではあるが、幹部にまで昇ることができた。

50代半ばになった現在も、必ず1冊は持ち歩いている。

偉大な成功者にはなれないだろう。

けれど、いつか彼らのように、自分の仕事を心底愛し誇りを持つことができればとおもう。